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歴史を知り、味わう。
道の駅「豊前おこしかけ」は伝説だらけ。

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2021.12.1

これは「三毛門(みけかど)南瓜の団子汁」。
写真のものも上品で美味しそうだけど、実は、もっと煮込んで、カボチャがトロトロになると、汁全体が黄色になり、まるで甘いスイーツのようになるらしい。

調べてみると「三毛門カボチャ」は、今から約450年前の戦国時代に、キリシタン大名の大友宗麟の元に伝来した国内最古の渡来種カボチャで、伝統あるもの。
豊後国(大分)を経て、現在の豊前市三毛門地区に伝わった。
昭和3年には、昭和天皇に献上されたそうで、特に、食べ物が乏しかった戦前から戦後にかけては、栄養価が高く甘いカボチャは、当時の人々の命をつなぎ、とても重宝されていたそうだ。
昭和40年代になると、ほくほくして甘みが強い西洋カボチャの流通に押され、三毛門カボチャの生産が減ってきたことから、平成19年度には保存会が立ち上がり、その後、平成30年には、「歴史的経緯に鑑み、将来にわたって種を保存する」ために、市の天然記念物に指定して、地元小学校での栽培指導や普及指導に取組んでいる。

豊前市の三毛門カボチャ
「三毛門カボチャ」(一般社団法人豊前市観光協会サイトより)

 

市内にある道の駅「豊前おこしかけ」は、別名「かぼちゃ伝説の里」とも呼ばれ、地元で採れるたくさんの特産品と一緒に、三毛門カボチャで造られた焼酎やワイン、お菓子、それに団子汁が売られている。
よく見ると、道の駅のパンフレットにも、きっちり「かぼちゃ伝説の里」って書かれているし、カボチャのロゴもかわいらしい。

さて、ところで、道の駅「豊前おこしかけ」の、“おこしかけ”ってなんだろう。
おこしかけが気になって、これもちょっと調べてみた。

全国の八幡宮の総本社である、宇佐八幡宮に奉られている神功皇后が、太古の昔、豊前の地を訪れた際に、休憩のためにこしかけられた石があったと伝えられている場所が、この道の駅のそばに残っており、それが名前の由来になったそうだ。

なるほど、2つ目の伝説を発見した。

この道の駅は、豊前市の四郎丸地区の、国道10号線沿いにあり、全天候型ドーム式の大きな屋根が特徴だ。

豊前市の道の駅「おこしかけ」豊前市の道の駅「おこしかけ」のドーム型屋根

特約農家から、直接届けられた新鮮な地場野菜が並び、目と鼻の先の豊前海で獲れた地物の魚介類が、毎朝、朝市形式で売られ、いつも大勢の人で賑わっている。

伝説になりそうなものは、何か他にないかな。
そう思って探してみると、結構、まだまだありそうだ。

一つは、乳幼児やシニアも使いやすく、ちょっとオシャレな感じのトイレ。
環境や利用者への気遣いが随所に感じられるという評価で「日本一おもいやりのあるトイレ」として、全国道の駅ランキングで、6位に選ばれたそう。

一つは、「道の駅弁」。
最近でこそ、どこの道の駅に行っても、道の駅弁を謳って、地元食材で作った弁当が売られていたりするが、実は、ここが発祥らしい。
記録によると、平成16年11月から、週末や祝日限定で、豊前市の地域色豊かで、季節感のある新しい弁当の販売を始めたことが、全国に広がったもの。
今では、地元高校生がプロデュースした弁当や、地元の人たちが工夫を凝らした弁当が、たくさん並んでいる。
何でも、一番最初は素晴らしい、時が経てば経つほど、伝説度が増してくるだろう。

もう一つ。ここの道の駅に行って、体験してみないとわからない「伝説」の食べ物(?)がある。
それはあまりに、衝撃の香りと舌触り。
先日、現地に実際に伺った時には、残念なことに、それは売り切れていた。
こちらが遠方から来たことがわかると、店主の方が申し訳なさそうに、でもニコニコ顔で、残っていた何種類かの品物を、説明しながら試食させてくれた。
ここで品物名を紹介してしまうと、今後行った時に、また売り切れて買えないかもしれないので、やめておこう。
「伝説」を堪能するために、また、近いうちに訪れることにしよう。

さて、さらにいろいろ調べ、この道の駅の歴史を遡っていくと、今の賑わいの礎をつくった人物に辿り着いた。
それは、この道の駅「豊前おこしかけ」の駅長さんだった人物だ。

道の駅のオープンは、平成12年3月。
豊前市の中心市街地が疲弊していく中で、地元の青年会議所のメンバーが、「新しくできる国道バイパス(現在の10号線)沿いに商業空間を作り、まだ余力のある商店主に参加してもらおう」、「そして顧客を呼び込むために、日本一おもいやりのあるトイレを設置しよう」という提案をまとめたことが、発端になっている。
国土交通省や商工会議所、漁協、地域の金融機関、地域の人たちの協力を得て、道の駅の開設が形になるまで、そしてその後、約10年にわたって、道の駅の新たな商品開発やブランド化を、中心となって進めてきたと聞く。

紹介した、おもいやりトイレ、道の駅弁だけでなく、6つの店が違うものを提供し、ひとつのテーブルに持ち寄って楽しめる「屋台村」、ゆず果実の酸味を適度に感じ、まろやかな食感で、都市部や海外にもファンが多く生産が追いつかないほどの人気商品「ゆずペースト」、道の駅のお米会員と生産者の交流会「棚田ツアー」など、駅長さんは、平成28年に80歳で退任されるまでの16年間、自ら考え自ら動き、挑戦を続けていた。

駅長さんは、他地域の道の駅にとっても模範の存在だったようで、よく、いろんなところで、講演とかにも呼ばれ、そこでは常々、「特産品は永遠の命だ」と、語られていたそうだ。

作り続ける限り、その魅力はずっと続いていくもので、そのためには、生産者を元気にすること、商品が安心で安全なものであるように常に努力することが必要と、説かれていた。

道の駅で販売する地元産品の生産者に対して、高度な品質管理を要求することで、これが、「豊前おこしかけ」のブランド力の維持、向上につながっているに違いないない。
生産者には、「実際にかいた汗に見合う購入価格」を還元するという精神は、今も受け継がれている。

そうである限り、まだまだ、「伝説」は生み出され、そして、つながり、ひろがっていくのだろう。

 

活まち新聞 記者R

 

(参照)農林水産省「うちの郷土料理」より(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kabocya_no_dango_jiru_fukuoka.html