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半世紀を経て復活。南部町「法勝寺電車」は今日も行く。
 

親しむ   まなぶ   やわらぐ  
2021.6.17

今年5月1日、鳥取県南部町の中心部の法勝寺地区に、「キナルなんぶ」がオープンした。
この施設は、図書館や生涯学習等のサークル活動エリア、コワーキングスペース、カフェなどがあり、「学び」「交流」「情報」を柱に、多世代の町民が誰でも活躍でき、居場所の役割も併せ持っている。

今回の記事は、「キナルなんぶ」の紹介でなく(こちらはまた、次の機会にでも)、この施設の中に、ジオラマ展示されている「法勝寺電車」を、取り上げてみたい。

「法勝寺電車」は通称。
正式名称は、「旧日の丸自動車法勝寺電鉄線」といい、大正13年(1924年)に、鳥取県米子市と南部町法勝寺をつなぐ路線(12.4㎞)として開業し、地元では「法勝寺電車」とか、「チンチン電車」と呼ばれて親しまれていたそうだ。

当時の客車は、南部町と米子市に、それぞれ一両ずつ残され展示されている。
これらは、日本国内で現存する最古の木造2軸三等客車で、平成23年、産業遺産として評価され、鳥取県保護文化財に指定された。

明治20年(1887年)にイギリスのバーミンガムの工場で製造された車両は、海を渡って日本に到着し、最初は、駿遠電気(現在の静岡鉄道)で活躍し、その後、池上電気鉄道(現在の東急池上線)での運行を経て、昭和6年(1931年)、この地にやってきた。

南部町に残されている車両の長さは約11.6m、幅は約2.6m、高さ約4mで、定員は65人。
50PS(馬力)の電動モーターが、前後の主軸に取り付けられている。
マッチ箱のようなかわいらしい外観で、室内には屋根のアーチ桁が、そのまま残っているのが特徴だ。

南部町に展示されている法勝寺電車
「法勝寺電車」南部町観光協会サイトより(http://tottorinanbu-kanko.jp)

少し興味を持って調べてみると。
「大正13年の開業年の輸送人員は約12万人で、営業収入は19,316円だった」とか、「昭和34年(1959年)時点で、米子~法勝寺間は、1日15往復の運行だった」、みたいなことがわかってきた。

また、モータリゼーションにより、昭和42年(1967年)に全線が廃止されるまでには、廃線反対の陳情活動が展開されたとか、同年5月15日の運行最終日には、車両に「サヨナラ」の文字がペイントされ、飾り付けがされた電車を、地元の人たちが惜しみながら見送ったと記録されている。

南部町と米子市間を走っていた法勝寺電車
「旧日の丸自動車法勝寺鉄道デハ201形203号電動客車」保存修理事業報告書(南部町教育委員会)から転載

特に、法勝寺電車が走っている写真は、南部町が持っている資料にもたくさん残っているし、いろんなサイトを見ても、結構掲載されている。

法勝寺電車のことを知っている地域の人たちにとっては、今回の「キナルなんぶ」でのジオラマ展示は、きっと、懐かしさや、昔のことが思い起こされるきっかけになるに違いない。

そう確信する出来事が、先日あつた。
グランドオープンを控えた「キナルなんぶ」を訪問し、役場の教育委員会の職員さんに、施設の中を説明していただいていた時のこと。

昭和の趣を再現したジオラマ展示の中で、法勝寺電車は、手間駅から法勝寺に向かって走っていた。
「おもしろい。結構作りも緻密。夕暮れの街みたいだ。」
そんなことを思いながら、眺める私のそばに、偶然、町長さんがやってきた。
聞くと、オープン前の施設の中に人の姿が見えたので、ちょっと立ち寄ってみたとのこと。

「昔、子どもの頃。よく、おじいさんが電車に乗って、遊びに連れてってくれたんだよ。ほら、あの駅の前には、今は無いけど医院があって…。」
失礼ながら、町長さんの顔は、とてもうれしそうで、誇らしげだ。

法勝寺電車は、ジオラマ展示を走る。
ここに来た地元の人は、昔のことを誰かに語る。
何にも知らなかった人は、何かを知って、思いを走らせる。

そして、法勝寺電車は、今日もどこかを走っている。

活まち新聞 記者R