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驚異的関係人口につながる、生涯スポーツの誕生物語。(その2)

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2021.6.17

(前回からの続き)
昭和57年4月。鳥取県教育委員会から泊村教育委員会に、社会教育主事として朝井正教氏が派遣され、前年から泊村教育委員会に勤務していた河本清廣氏の同僚となった。
二人は共に20代。国からの命題を受け、真っ白な状態から、新しいスポーツの開発に取組むことになった。

高齢者にふさわしいスポーツをあれこれ考える毎日。
野球をベースにしたスポーツを考えたり、昔ながらの遊びを研究したり、試行錯誤の繰り返し。しかし、議論はたびたび脱線し、原案さえもまとまらない。
プレッシャーの中、時間だけが過ぎていった。

そんな中、朝井氏は、以前、大阪教育大学助教授の島崎仁さんの生涯スポーツに関する講演を聞き、感銘を受けたことがあるのを、ふと思い出した。
「そうだ、あの先生に意見を聞いてみよう。」
二人は、すぐさま、大阪教育大学に足を運んだ。

これまでの経緯を一通り説明した二人に、島崎助教授は、「年齢を超えて広く楽しむことができるスポーツにしてはどうか」と、アドバイスした。
「なるほど、高齢者向けということばかりに気を取られ、視野が狭くなっていた。」
藁をもすがる思いで訪れた二人は、一筋の光明が見えた気がした。

そしてこのやりとりの後、「グラウンド・ゴルフ」発明のきっかけとなる光景に、二人は、遭遇することになる。

大阪教育大学グラウンド。
研究室を出た二人の目に、学生たちが、地面に描いた円を的にして、ゴルフクラブのアイアンを手に、ボールを打って遊んでいる姿が、飛び込んできた。
「これだ!」
この瞬間が、紛れもない転換点だったと、後日、二人は口を揃えて語っている。

村に帰った二人は、再び、新しいスポーツの開発研究に取りかかった。

7月には、島村助教授を始めとする学識経験者、県内の市町村担当者らで構成する「生涯スポーツ活動推進専門委員会」を立ち上げ、新しいスポーツの開発研究の伴走者、兼、後ろ盾を得ることができた。
多方面からの意見や協力を得ながら、8月には、「グラウンド・ゴルフ」という名称を含むルール原案を取りまとめ、9月には、用具の開発に着手する。

これまでの停滞が嘘のように、流れるようにプロジェクトが進んでいく。
9月末には、クラブやホールポストの複数の試作品が完成した。
専門委員会での検討だけでなく、村の高齢者からも意見を聞こうという話が持ち上がり、「グラウンド・ゴルフ」試行教室を開催することにした。

そしてこの出来事が、「グラウンド・ゴルフ」にとって、再度、大きな節目となる。

10月4日、NHKテレビの全国版で、この試行教室の様子が放送された。
翌日から、村の教育委員会には、全国各地から問い合わせが殺到する。
新聞やテレビの取材、講演の依頼、ひっきりなしにやってくる視察団、手紙・電話での問い合わせ。
新スポーツ考案の反響はすさまじく、また、宣伝効果は計り知れないものだった。

全国からの好反響と、高評価は止まらなかった。
平行するように、用具用品の生産体制も確立され、組織的な普及活動としての、泊村、鳥取県、日本と、グラウンド・ゴルフ協会が、1年を経過することなく、次々と設立されていった。

以上が、小さな村から生まれた、生涯スポーツ「グラウンド・ゴルフ」の誕生物語である。

さて、その後、「グラウンド・ゴルフ」の愛好者は増え、今や、国内の愛好者は約300万人と言われている。
また、平成26年(2014年)からは、海外普及を図るための国際交流大会が、湯梨浜町で行われており、令和4年5月には、オープン型の国際総合競技大会「ワールドマスターズゲームズ」(35競技59種目)の「グラウンド・ゴルフ」競技の開催も、予定されていると聞く。

鳥取県湯梨浜町で開催されたグラウンド・ゴルフ国際大会YURIHAMA
「国際大会の様子」湯梨浜町HPより(https://www.yurihama.jp/soshiki/7/10633.html)

旧泊村を含む湯梨浜町の人口は、現在、約1万7千人弱。
「グラウンド・ゴルフ」の全国の愛好者は約300万人であり、単純計算で約170倍の人が「グラウンド・ゴルフ」を通じて、広い意味で、関係人口化していると言ってもいいだろう。

生涯スポーツを通じて、これだけの人々が、何らかの形で、湯梨浜町とのつながりを持ち続けていくのだから、素晴らしいことだと思う。

因みに、泊(とまり)村で考案された「グラウンド・ゴルフ」だが、ホールポストの中にボールが静止することを「トマリ」とすると、ルールに明記されている。
これは、新スポーツの開発に奔走した、旧泊村教育委員会が、「グラウンド・ゴルフ」発祥の地の名称を、後世に残していこうという、気概(企み?)の表れに違いない。

泊村の名前は、合併によって消えてしまったけれど、「ナイス、トマリ」の声は、今日も日本のどこかで聞こえているだろう。

活まち新聞 記者R