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昭和レトロ好きの琴線に触れる物たちを、伊達市で発見
 

ながめる   まなぶ   たのしむ  
2022.6.1

ダテシ……? すみません。政宗しか浮かばない。しかしそれは仙台、宮城県。今回のは福島県、伊達市。平成の大合併、2006年に誕生した市で、そもそもここが伊達氏の始まった地らしい。恥ずかしながら今回初めて知った。

高知県で生まれ育ち、今は岡山県に住みながら活まちで働く。50歳を過ぎたが、東北へは一度も足を踏み入れたことがない。土地勘ゼロなので、まずは地図を確認する。伊達市は福島県の中通りと呼ばれる内陸の、その最北部、宮城県に接する県境のまちか。なるほど。

伊達市の公式サイトを見てみる。ごつごつした山の写真に目が止まった。霊山、レイザン……いや、リョウゼンらしい。山をセンと読むのは鳥取の大山(ダイセン)や岡山の蒜山(ヒルゼン)、広島の弥山(ミセン)など、中国地方に多いパターンで、急に親近感が湧く。

 

昭和レトロものが好きなので、その手の物件はないかなと霊山エリアをGoogleストリートビューで徘徊してると、「掛田驛」という看板のかかった古い建物を見つけた。あきらかに鉄道駅舎だ。でも鉄路はないし周囲にあるのはバス。かつての駅が、今はバス停として使われてる様子。こりゃ面白い。惹かれる絵面。

福島交通の掛田驛

 

掛田という地区を含め、現在の伊達市域周辺は江戸時代から養蚕がめちゃくちゃ盛んだったらしい。輸送力と速度で当時最良の交通手段として望まれた鉄道、しかしこの地域には惜しくも東北本線が通らなかった。

東北本線から遅れること20年と少し、信達軌道という軽便鉄道の会社が1911年に蒸気機関車を走らせ始めた。掛田駅もこのとき開業。その後、不採算路線の廃止や電化なども経て、1925年からは福島電気鉄道と名を変え路面電車を走らせる。1962年には福島交通軌道線という名称に。掛田駅が電停ではなく「駅」を名乗ってたのは、蒸気機関車を走らせてた頃の名残りかな。

蒸気機関車時代の最大路線長は約57km。驚くほど長い。路面電車になって以降の路線長も約32kmで、これもかなりの距離がある。我がふるさと高知を今も走るとさでん交通の路線長が25kmほど、路面電車として日本最長だけど、それよりも長かったわけか。

しかし、1960年代から日本全国に広まったモータリゼーションの波をかぶり、この地の路面電車も1971年には全廃され、掛田駅も停留所としての役目を終えてしまった。で、今は福島交通のバス停として活用されてるらしい。

路面電車が、いわゆる「市内」電車ではなく、離れた街と街との往来に利用されるという姿は、コンパクトシティ思想が求められてる現代でこそ見てみたかった。まことに惜しいが、このレトロな駅舎が残され活用されてるだけでも御の字と思わねば。

 

りょうぜんこどもの村や保原中央交流館には、路面電車の車両が静態保存されてるらしい。極端に幅の狭い車両もその色も、とにかく愛らしい。きっと掛田駅まで走ってたはず。昭和レトロもの好きとして、これら車両や駅舎を見に伊達市を訪ねたいと思わされる。

 

活まち雑貨店 店員T

 

 

※画像・リンク 引用元:Google社「Google マップ、Google Earth」

※参考サイト

「伊達市を結んだ鉄道」@伊達市サイト

【伊達・チンチン電車】思い出乗せて…街を見守る かつては駅前@福島民友新聞サイト

よみがえれ、チンチン電車1116号@保原ロータリークラブ