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郡内織の傘を見て、都留のまちを想う。
 

やわらぐ   親しむ   動かす  
2023.1.25

先日、郡内織の傘が家に届いた。
都留市の郡内織を応援するクラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/452634)を支援したので、そのリターンの品だ。
傘は使ってこそ意味があるとは思っているのだが、なんだかもったいない気がして、まだ使っていない。

郡内織の傘

郡内織とは、山梨県の東部地域で作られる絹織物のこと。糸の色を染めてから一列に並べ、織りながら色や柄を加えるという独特な技法でつくられ、その美しさと衣擦れの音から、江戸時代には着物等の用途で人気の織物だった。現在では、傘や布団の素材として用いられている。

郡内織の着物

先ほどのクラウドファンディングは、郡内織の発祥地である都留市において、和服から洋服へといった服装の変化や、海外産の安い織物の流入、実用性志向といった価値観の変化といった背景から後継者がおらず、郡内織の製品が作れなくなっているという現状を打破するためのものだった。

 

ある日、都留に赴いた際、商家資料館という施設を訪れた。大正時代の中期に建てられた商家造りの絹問屋で、郡内織に関する資料が数多く展示されている。郡内織の反物や郡内織を裏地に使った羽織、絹織物の取引に関わる資料、染色工場の布地見本、織物協同組合関係の品々が、郡内織の歴史を伝えている。

都留市商家資料館

ここで、案内人の方から「ガチャ万景気」という言葉を教えてもらった。

戦時中は思うように織物生産ができない時期があったが、戦後の朝鮮戦争をきっかけに、織機で“ガチャッとひと織りすると一万円儲かる”とも言われ、都留のまちは大層栄えたそうだ。この商家資料館も郡内織物会社(絹織物の仲介業)を経営していた仁科源太郎氏によって建てられており、例外ではない。

郡内織製造の様子

商家資料館の面する通り(国道139号線)は、郡内織の江戸~昭和の気配だけでなく、様々な歴史を感じることのできる場所だ。

そもそも都留は、城下町としての歴史も有する。武田信玄に仕えた小山田氏が、現在の都留市役所の近くに谷村館を築造したのがそのはじまりだ。富士山信仰の参拝道としての側面も持ち、前述の郡内織製造の特性も相まって、多くの人々や物が行き交う、山梨県東部地域の政治・経済・文化の中心となったのだ。

現代では、江戸時代から続く「八朔祭り」の大名行列や豪華な飾幕の屋台巡行が、その姿を今に伝えている。「ミュージアム都留」には、八朔祭りで曳き出される大迫力の屋台と、江戸の浮世絵師によってデザインされた飾り幕を常設展示しているので、ぜひ見てほしい。

八朔祭りの様子

都留は、訪れるだけで、様々な時代を想起させる、特異性のあるまちであるように感じた。
歩いていると、風景、自然、文化や人から、様々な懐かしさが入り交じる。
そんな都留のまちが、私は好きだ。

さて、先日家に届いた郡内織の傘は、いつから使いはじめようか。
大切に使いたいからこそ、使い始めるのに勇気が必要だ。
でも、周りの人に「この傘いいね」なんて言われたら嬉しいだろうから、そろそろ傘を開くこととしよう。

 

活まち新聞社 新人ライターS

 

【参考URL】

CANPFIRE 郡内織の超絶技巧「ほぐし織」!その魅力と伝統を未来へつなぐプロジェクト(https://camp-fire.jp/projects/view/452634

都留観光協会ホームページ 八朔祭り(http://festival.tsuru-kankou.com/

やまなし歴史の道(https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/

商家資料館(都留市ホームページより) (https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/soshiki/shougaigakushuu/bunkashinko_t/1_1/1761.html

ミュージアム都留(都留市ホームページより) (https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/soshiki/shougaigakushuu/museum_tsuru/1340.html