秋も深まりつつあるこの頃。
独断と偏見かもしれないが、秋と言えばまずはやはり、読書の秋だろう。とはいえ、秋は他にもスポーツの秋や、食欲の秋などの言葉があるように、誰にとっても魅力的な時季なのだと思う。
今日はそんな「読書の秋」にちなんで、都留市がきっかけになってくれた、素敵な「一冊の本との出会い」について書きたいと思う。
都留市には、「都留市二十一秀峰」と呼ばれる山々がある。市内の景観等が優れる山として、市が定めた二十一の山域(山頂)のことを指すのだが、その中に「二十六夜山」という、美しい名をつけた山がある。
都留市のホームページによると、
「二十六夜山は、江戸時代に盛んとなった旧暦の正月と7月の二十六日の夜に、人々が寄り合い飲食などを供にしながら月の出を待つ二十六夜(三日月)待ちの行事に由来します。
この日の夜半の月光に現れる、阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩の三尊の姿を拝むと平素の願いがかなうと信じられ、かつては、この二十六夜山の山頂で、麓の村人たちによって、遠く道志山塊から上がる月を拝む月待ちの行事が行われました。」
となっている。
そもそも「月待ち」という言葉を知らなかった私。興味がわき、ネットや本を頼りに調べていたところ、出会えたのが、「絵解き江戸の暮らしと二十四節気」(著・土屋ゆふ)という本だった。こちらが冒頭に触れた、都留市をきっかけに出会えた一冊、である。
この本は、江戸時代の、江戸に暮らす人々が、春夏秋冬の四季を丁寧に生活してきた日常を、二十四節気の節目ごとに紹介しているものである。
「二十六夜待ち」の項は、本の半ばあたり、「処暑」―暑さが峠を越えて後退しはじめるころーの章で登場する。
章の始まりには、江戸の人々が日常生活の中で自然を愛でる暮らしを送っていたこと、そして秋の自然をどう楽しんでいたかというと…という導入部分から、「秋の七草」、「虫聴き」、と続き、「二十六夜待ち」が紹介されている。ここでは、美しい挿絵から品川が海辺だった様子が見られ、今の品川との脳内比較などをしながら、読み進めるのだが…。
なんと、江戸っ子たちは夜中に上がる月を待つという名目で、酒の席を設けてどんちゃん騒ぎを愉しんだとある。月待ち信仰、というイメージからはかなり遠い気がする…。
つまり、当時の江戸っ子たちは「月に願いを」、というよりも、ワイワイ騒いで楽しむ口実に月見をしていたようだ。これこそまさに、「花より団子」状態か。そういえば、お花見だって同様かも。自然の美しさを愛でるのをきっかけとして、食べたり飲んだりと、娯楽性が高かったのと同じ、というわけだ。
しかしながら、なんだか最初に知った、月待ち信仰の「夜半の月光に現れる、三尊の姿を拝む」という文章から想像した、厳かな雰囲気、イメージとはだいぶかけ離れた感じである。もしかすると、海辺であった江戸・品川での月待ちと、都留の高い山に登り、月を拝むのとでは、その様子も楽しみ方も違っていたのかもしれない。なんといっても、標高千二百九十メートルもの高さの頂上に登って、月を待つ方が、そのハードルは高いし、厳かな気持ちにもなると思う。所変われば、同じ行事でもそのあり方も変わってくるのかもしれない。
読書は、いわば想像の海を泳ぐようなものだと思う。
私は水泳が得意ではないので、それこそ「あちらこちらに漂って」しまうのだけれど、好き勝手に自分の創る海を泳いで行ける。だから、本を読むことが好きなのだと思う。
今回、私は都留市の美しい山の名をきっかけに、江戸の人々の暮らしを想像する海を泳いでみた。
今から百数十年前に広がっていた、江戸時代の人々の暮らしぶり。そこに在る人達すべてが、各々の位、身分、職業、年齢など関係なく、それぞれの役割を全うし、楽しみながら明るく生き、生活している。すべてが等身大で、とても明るい。そう、なんだかとても明るいのだ。誰も、自分以外の「ほかのだれか」になろうとしない世界を、ぼんやり俯瞰するように眺めていられた時間は本当に楽しかった!
また、素敵な本と出会ってしまった。有難う、二十六夜山。有難う、都留市。
活まち書店・店員M
出典:都留市観光協会HP(https://tsuru-kankou.com/imakurayama-nijuurokyasan/)