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「おれっち」に会いに行く。都留市までの細道。
 

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2021.6.17

山梨県都留市に初めて足を踏み入れたのは、2018年9月のこと。
上り東海道新幹線を名古屋で乗り換え、三島駅で降り、駅前でレンタカーを借りるまでが、約3時間半。そこからナビを頼り過ぎてしまい新東名に乗り損ね、東富士五湖道路の入口まで下道を走り、やっと高速に乗ってまた走り、都留ICを出て都留市役所まで、さらに1時間半。合計約5時間かかり、ようやくたどり着いた時のことは、今でも鮮明に覚えている。
「山がけっこう迫っている。勝手に想像していた学園都市の風景と全然違う。」

その日は午後から市役所の人たちと、まちづくりについて、いろいろ意見交換したのだけれど、正直やりとりした内容は、あまり記憶にない。
でも、ひとつだけ覚えている言葉がある。
「おれっち」。

それが地元の方言だということは、後々判明するのだが、何せ、「おれっち」(私のところとか、自分たちのところという意味。その時は確か、「都留市では」という文脈で話された。)は、使った課長さんの、シャープで人なつっこいキャラと合わせて、強烈にインプットされてしまった。

そしてその時のことで、もう一つ、記憶に残っているのが「松尾芭蕉」。
1783年。江戸の大火で家を追われた芭蕉が、弟子を頼って谷村(現都留市)を訪れ、その後しばらく滞在し、自然と霊峰富士を間近に見る感動が芭蕉に大きな心境の変化を与え、俳句づくりに大きな影響があったと言われている。

市内を案内してもらった際に、「田原の滝」のそばに、芭蕉像と句碑があり、「何でここに松尾芭蕉がいるの?奥の細道ってここ通ったのかな。」という疑問が湧いて、尋ねて教えてもらったことが、頭の片隅に残っている原因かと。

さて、2回目は、2019年の8月。
全国の市町村で、まちづくりを担っているメンバーとの意見交換、現地視察の場として、都留市を再訪することになったという次第。
そこで、前回、時間が結構かかった、という教訓を踏まえ、今度は東側からアプローチすることにした。

東京都内に前泊し、府中市でレンタカーを借りたのが、朝の9時半。そのまま中央自動車道大月経由で都留市に行けば、1時間そこそこで到着するはずだった。が、その日は突如思い立ち、相模原で高速を降りて、晩夏の川のせせらぎに惹かれるように、道志川沿いの道志みちを上ることにした。

途中の道は狭く、曲がりくねっていたけれど、途中立ち寄った道志村の道の駅はたくさんのライダーたちで賑わい、清流がとても印象的だった。

そして、そこから山を越えて、下ったところが都留の市街地。かかった時間は、寄り道と買い食いを含めて、約2時間半。
「やっぱり時間がかかったなあ。」というのが、この時の印象だった。

都留市の田原プロジェクトの視察の様子
「現地視察(田原プロジェクト予定地)」の様子

2日にわたって「おれっち」を含む、全国各地の市役所や役場の方と、いろんな意見をやりとりし、事業現場の視察も終えて、三島市方面へ抜ける南ルートで、都留市を後にした。

3回目は、ちょっと立ち寄った感じの訪問。
前泊地の甲府市を朝出発し、曲がりくねった山道を走り、目的地の丹波山村に着いたのが午前10時。小1時間で用事を済まし、村内の道の駅に行って珍しい地元産品を物色し終えてところでまだ11時半。

「さて、どうするか。夕方の羽田の便まで、まだまだ時間がある。」と思ったところで、
「おれっち」の顔が頭に浮かんだ。

丹波山村は、都留市から見ると北の山奥。そこからナビを頼りに、アップダウンを繰り返し、狭い道を走って大月市経由で都留市に到着した。

道の駅でさっと昼食を取り、アポなしで市役所に突撃したのだけれど、「おれっち」は暖かく迎えてくれた。「おれっち」以外の職員さんも、どんどん集まってきて、実のある意見交換や相談できて、とても有意義な訪問だった。

羽田でのレンタカーの返却時間の関係で、市役所での滞在時間は約40分。
後ろ髪を引かれるように、都留市を後にした。
そこから寄り道せずに、ナビ通りに高速を入って羽田に着くまでが、約1時間半。

「あれ。結局、この方法がいいかもしれない。」
3度目の正直じゃないけれど、やっと「おれっち」に続く細道の、最適解が得られたというお話。

活まち役場 まちづくり係K

画像出典:都留市観光協会HPより(https://tsuru-kankou.com)