ロード中...
トップ画像

空からふわり。鳥の目でまちを読み解く 第2回:湯梨浜町(その1)

ながめる   まなぶ   親しむ  
2021.12.22

――「景観」は、自然にできたものと、人がつくったものの掛け合わせで出来ています。
そうおっしゃる、景観デザイナーの山田裕貴さん(株式会社Tetor代表取締役)に、Google Earthだけで、行ったことのないまちを読み解いていただくシリーズ。第2回は、鳥取県湯梨浜町です。
山田さん、今回もよろしくお願いします。

 

山田裕貴
山田裕貴(やまだゆうき)

景観デザイナー/土木デザイナー。

1984愛媛県新居浜市生まれ、

2011東京大学大学院博士課程修了(博士(工学))、2016〜株式会社Tetor代表取締役、2021〜株式会社風景工房代表取締役。

法政大学/国士舘大学/東京大学非常勤講師、甲州市景観アドバイザー、広場、橋梁などでグッドデザイン賞、土木学会デザイン賞等を受賞。

 

山田:よろしくお願いします。
湯梨浜町というのは面白い名前ですね。

――2町1村が合併した際に、東郷湖(池)底から湧く温泉の「湯」、「梨」の産地、日本海に面した「浜」、という特徴から名付けたそうです。

山田:なるほど。そういった特徴につながる何かも読み解けるかもしれませんね。
広域から見ていきましょう。

湯梨浜全景1

 

やはり大山が特徴的ですね。どう見ても大山の影響で出来ていそうな場所です。影響範囲の中では端の方ですが。
温泉というのも、大山の断層の影響があるのではないでしょうか。地震も多いかもしれません。

湯梨浜全景2

 

こう見ると、元々海岸線はもっと内側だったかもしれません。海岸線の形が人工的な感じがします。この大きな池も、海だったものが残ったのかな、と思いました。

湯梨浜町役場

 

土地利用は役場の南北で異なっているようです。南側は圃場整備された水田が広がっていますが、北側は、ビニールハウスが多く、畑のようです。これは、例えば、地下水位が高いとか、潮の影響を受けやすいといったことが考えられます。土の色も違って見えます。

湯梨浜町海岸

 

海沿いに木がかなりあるのは、防潮・防風のためではないでしょうか。風が強い、砂が入ってくるという可能性も高そうです。この辺りは砂地のように見えますし、そういう意味でもハウス栽培の方がやりやすい、向いている土地なのかもしれないですね。

湯梨浜町海岸2

 

河口もかなり土砂が堆積しています。大山から砂が流れてきている感じです。泥ではなく砂なので、花崗岩など硬い地質の山なのでしょう。やはり大山に由来している土地なのかな、という印象です。

湯梨浜町海岸3

 

畑地と思われるエリアは、古い集落が2つあるようです。ストリートビューで見ると、やはり砂地ですね。こういうところで何の農作物をつくっているのか、知りたいですね。

湯梨浜町 北栄町

 

引いてみると、隣町も含めて、南側に広がる田んぼと、海沿いの砂地がくっきりと分かれています。そしてその境に必ず、古くからの集落があります。
もしかすると、昔はそこまでが海岸線だったのかもしれません。人工的に埋め立てて現在のようになったのだとすると、近世くらいでしょうか。自然に砂が運ばれて堆積してこうなった可能性もあるので、その場合はもっと前だと思います。どちらもあり得る気がします。
これは地形からだけでは読み解き切れないところですね。

湯梨浜町 田後

 

この辺り、田んぼが広がっているエリアですが、面白いです。左側は昔ながらの古い集落ですが、右側は新しい家が並ぶ住宅地ですね。
新旧がなぜ分かるかと言うと、例えば、昔からの住宅地には、道路の色々な線が入ってきています。あまり区画割りされていないというか。それに対して新しい住宅地は、横の田んぼの形そのまま、短冊状をしていますね。圃場整備が先で、その後、農地を転用していっていると思われます。
住宅に使う素材も違います。昔からの住宅は、瓦屋根。この地域だから石州瓦の赤い屋根と黒瓦とがありますね。最近の住宅だと素材が変わってくるので、色も薄く見えます。

湯梨浜町 田後2

 

引いてみると、役場の辺りも、北側は古い住宅地で、南側が新しい。
両方を合わせて見ると、幹線道路の川側が古い集落で、池側、田んぼが広がっている側が新しい住宅地になっています。道路がわりとはっきりした境になっていますね。

湯梨浜町役場

 

池のそばの集落は、古い住宅ばかりで、新しい住宅はあまりないようです。
そうすると、新旧の境になっている幹線道路が昔の街道で、その川側に集落があり、池側は田んぼが広がっていて家は少ない農村地帯だったのでしょう。
そして、池の恩恵を受けて、何らかの生業があり、それに伴って、池沿いに集落があった。

湯梨浜町全景11

 

近づいてみると、住宅街の中に緑が多いですね。
ストリートビューで見ると、生け垣や樹木で、道路や隣家との境をしています。低い石積みをして、その上に生け垣、という形も多いので、高さを出したかったのかもしれません。特徴的だと思います。
古い住宅地には緑が多く、新しい住宅地にはないので、生活の中で必要があったのだと思われます。やはり風か砂を防ぐためなのか、何か理由がありそうですが、見ただけでは分からないので、知りたいですね。

湯梨浜町東郷湖のまわり

池には、小さい川が4本ほど流れ込んでいます。一方、池から海につながる川はかなり大きく、恐らく、この川を通じてから海との水の行き来がかなりあると思われるので、汽水ではないでしょうか。満ち引きもあると思います。
近世・近代は、池が大事だったのではないでしょうか。漁や温泉といった生業があり、そこに人が集まってくる。

梨の産地という話がありましたが、これまで見たエリアではなかったようなので、山側で生産しているのかな。

湯梨浜町 野方

 

この辺りかもしれませんね。

湯梨浜町 東郷神社

 

こうして見ると、池の南側は、池沿いと、山際に集落があるので、池と密接に関係する生業と、果樹などの農業によって成り立ったように思われます。
山際の集落は古いもののようですし、果樹や田んぼを耕していたのでしょう。平地に田んぼがあり、山と平地の間に集落がある。いわゆる里山の農村風景ですね。
だとすると、湯=池、梨=山や果樹・田んぼ、浜=海、という町名は、よく出来ていますね。

 

地図で見ても、長い海岸線と池(温泉)、そして山もかなり広く町域に含まれています。
池沿いの集落、山際の集落、街道の西側の集落、海の近くの集落と、それぞれ特徴のある暮らしが多様にある町ですね。単一の成り立ちではなく、それぞれの生業との関わりが強いあり方が、一つの町の中に点在しています。これはとてもユニークですね。
それを町名として表しているセンスもすごいと思います。町に住んでいる人達の意識に、どれも町のアイデンティティだ、ということがあるんじゃないでしょうか。どの暮らしも大事なんだ、という気持ちが表れているような気がします。
池(湖)ではなく、湯=温泉としているのも、生業としての意識があるのかもしれません。
温泉がなかったら「湖梨浜町」だったのかも(笑)。

湯梨浜町 東郷池

 

JR松崎駅がありますから、鉄道と温泉の発展は関係があるかもしれません。
これは推測ですが、池の西側の突き出した部分(はわい温泉)は、街道から行きやすいので、昔から栄えていたのではないでしょうか。一方、池の南側(東郷温泉)は、周囲に山がせり出していて、道としては、なかなか行きづらい位置にあるように見えますので、鉄道が来たことで発展した、という可能性はあるかな、という気がします。なかなか歩いては行きにくい場所だと思います。
鳥取から米子まで海沿いを走る鉄道が、ここだけぐっと入り込んでいるのは、当時、頑張って誘致したとか、何かドラマがあったかもしれないですね。

湯梨浜町 東郷湖2

 

9号線という高速道路も海沿いに建設されていますし、その方が普通な感じはします。
倉吉を通したかったというのはあったのでしょうが、海沿いの本線から倉吉に向かう線を敷くこともできたわけで、どのような理由で、松崎駅を設置するルートが計画されたのか、興味深いですね。

湯梨浜町海の駅とまり

 

旧泊村は、名前からして漁村で、恐らく古い名前です。日本海側を移動する中継拠点として、中世からある古い集落だったのではないかと思います。
こうして見ても、典型的な漁村ですね。海岸線をなでたような配置になっていて、漁村らしい集落です。海がこのまちを作っている、という形をしています。
農村地域とは随分違っていますし、湯梨浜町は、本当に多様な集落を内包している、ユニークな町ですね。

気質も大分異なるんじゃないでしょうか。漁村の人たちは、海と対峙しているので、力強い感じがしますし、温泉の人たちは、商売をしていて、交流や文化的な感じ。農村地域はもう少し穏やかでしょう。面白そうな町ですね。行ってみたくなってきました。
合併するときも、無理に一つにするのではなく、お互いの違いを大事にする、ということだったんじゃないかと想像できます。

生業も異なっているので、元々、海のものと山のものを交換するとか、仲が良かったのかもしれません。まあ、想像ですが(笑)。昔の暮らしが一瞬見えるようで楽しいです。

――今回も、湯梨浜町の独自性が、Google Earthからだけで、こんなに読み解けるのものなんだ、とびっくりしました。一方で、海に近い砂地エリアの歴史や農産物、古い集落に緑が多い理由、鉄道敷設の経緯等、もう少し調べてみないと分からないこともありました。

山田:Google Earthからだけでは分かりきらないものがあることが、現地に行く意味や、歴史を調べる意味です。
「景観」は、自然にできたものと、人がつくったものの掛け合わせで出来ていて、それがいつ頃できたのか、といったことは、そのまちの構造や住む人のアイデンティティに関係しています。「景観」自体が、暮らしや自然が表出してきたものの眺めなので、「景観」を見る、眺めるということは、その背後にあるものを見る、理解する、ということでもあるのです。

――自然と人の掛け合わせ、ということが、実感として少し分かってきたような気がします。「背後にあるもの」を理解するために、調べて、次回レポートしたいと思いますので、お楽しみに!

 

活まち大学大学院 院生C

※画像・リンク 引用元:Google社「Google マップ、Google Earth」