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都留のまちが持つ魅力を知りたくなって読んだ、
大学創立記念誌

まなぶ   親しむ  
2022.4.20

先日、活まちオンラインイベントで山梨県都留市に移り住んで活躍している方のお話を聞く機会があった。昨年、2021年12月に開催された「都留の未来を明るく灯す電力とまちづくり」でのことだ。

山梨県の東部に位置し、富士山の伏流水が湧き出るスポットがまちのあちこちにある、水が豊富で山々に囲まれた谷あいのまち、都留市。古くから城下町として栄え、交易の要の場所としてその歴史を育んできたこと。そして、その歴史を持つ地が大学を有していることも重なって、現在の都留が持つ、まちの外から来た人が活躍しやすい土壌を培ってきたのだという。

都留っておもしろいまちなのだろうな。まちの外から来た人が活躍しているまちって、どんな感じなのだろう。城下町の歴史を持つ都留と大学との関係。興味が沸いた。

都留市のサイトを覗いてみた。
「移住・定住」のページから「STEP1 つるってどんなまち?」の「3,000人の学生が学ぶまち」の項の紹介文には
「人口3万人規模のまちに3つも大学があるのは、とっても珍しいことなんです!」とある。
「とっても珍しいことなんです!」とは・・・・強調度が普通ではない。その特色はかなり貴重なのだと想像できる。ますます興味がかきたてられるではないか。
ちなみに、3つの大学とは、公立大学法人都留文科大学、健康科学大学看護学部、そして産業技術短期大学校都留キャンパスである。

都留のまちと大学の存在との関係性に興味を覚え、都留の大学で一番歴史が長い、都留文科大学の「創立五十年記念誌」、同じく「創立60周年記念誌未来へのヴィジョン」の二冊を借りて読んでみた。

都留文科大学の創立記念誌

都留文科大学は、1953年に設立された、山梨県立臨時教員養成所が前身とされる。これは名称にあるように、あくまで「臨時」とされ、設置から二年で閉所が決まる。しかし「地元では恒久的な高等教育機関を切望する声が高まりをみせて」いき、のちに谷村町など五町村の合併により誕生する都留市とともに、1955年都留市立短期大学が創設されることとなった。さらに1960年には四年制大学へ改変され、現在の都留市立都留文科大学となるのだ。
文章で読むと、なんだか見過ごしそうだが、地元での存続を希望する声が大きくなって大学が生まれた経緯がうかがえる。

また、四年制大学として都留文科大学が誕生した後、全国各都道府県から入学希望者が急増し、大学は教室確保などその対応に追われる。一方、都留市でも広報誌で「下宿または間貸しのできるお宅」を募るなどして、まち全体で「大学と学ぶ学生たち」を支えてきた片鱗が見える。実際、大学の記念誌を読み進めると、卒業生による下宿先のご家族やまちのひとたちとのエピソードがいくつも綴られている。

「町の人もとても親切で、人情味があった。(中略)親のような、あるいはそれ以上の情で接してもらった」(昭和三十九年卒業生)
年表からだけでは触れられないような都留の歴史が、一気に現実味を伴って伝わってくるのだ。

都留文科大学はその起源が教員養成所だったこと、また地方公立大学でありながら全国区の大学であることから、文字通り「全国各地」から教員を目指す人材が集まってきた。そして卒業後は、各々の出身地を中心に全国へと巣立ち、日本の教育現場を守ってきたのである。

道の駅つるでは毎年、都留文科大学同窓会支部と連携した「都留文科大学同窓会連携事業 おいしいものフェア」を開催している。
全国に多くの支部が存在する、同窓会の各支部長が「地元のおススメの逸品」を紹介、期間限定販売も行うという。2021年は11月に開催されたそうで、日本の各地で大学卒業生が活躍するまちならではの企画、想像するだけでも楽しくなる。今年はいつの開催だろう、なんて気が早いだろうか。

今回読んだ都留文科大学の創立記念誌には、多くの卒業生の方たちが都留を「第二の故郷」と表現していた。都留を心の故郷とした方々が、全国各地の教育の場で活躍している。そしてまるでその恩返しのように、今都留のまちの外から来た人たちが、まちの人とともに都留の地で活躍している。
なんだか、知らない土地なのにすでにファンになってきた・・・。
「おいしいものフェア」の日程にあわせ、まちを訪れるのもありかも、なんて。

 

活まち書店・店員M

 

【出典】
都留市HP 「3,000人の学生が学ぶまち」(https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/soshiki/kikaku/seisaku_t/2_1/step1/9221.html
「都留文科大学創立五十年記念誌」
「都留文科大学創立60周年記念誌 未来へのヴィジョン」