東川町の市街地周辺では、いたる所で2000メートル級の山容が視界に入ります。
平和であってほしいと願いながら、大雪山の山々を眺めています。
冬。
すっぽりと雪に覆われた御姿は、空と大地と一体化し、ますます厳かです。
東川町に移り住む、ずっと前のことを少し思い出しています。
満員電車に乗っていることが日常だった頃です。
私は休日になると山へ森へと計画を立てました。
自然を欲していたのでしょう。
北海道最高峰の旭岳を有する東川町では、街に住んでいた頃と比べると、どんなにかすぐ登山口に辿り着けることか。
ザックを担いで靴紐を結び、さぁ山へ!
どんどん行こう、何度も行こう!
おや?最後に山に登ったのは、いつ…?
登山していないなぁ…。
育児という日々を送るようになり、時間の使い方、休日の過ごし方が変化したことは確か。
でも、それが決定的な理由ではないような。
私はなんで山へ行っていたんだっけ?!
山に抱かれた駅に降り、山を見上げる。
山を登って、景色にうっとりして、動植物を眺め、写生をし、山でごはんを食べる。
登頂を目標にしていなかったので、山頂には行かず、下山することもありました。
私は、山の空気で深呼吸をしたくて、山へ向かっていたんだなぁ。
もしかしたら。
東川町で暮らしていると、私の山行欲は充分満たされているのかもしれません。
東川町内は、旭岳に向かってゆるやかな登り坂です。
つまり東川と旭川を結んでいる北海道道1160号線は、東川から旭川に向かうとき、ずっと下り坂。
晩秋のある日、こどもと忠別川沿いをサイクリングしているときです。
私たちは鮭の遡上の話をしていました。
長い旅路を終えた体は、山の動物だけでなく、木々の栄養にもなる、と。
「それってさー、山の土は、鮭もすきこまれているようなもんだよね~。それじゃぁさ!どこまでが山のふもとなの?山裾ってどこまで?」
質問攻めは続きます。
「人間も、山の生きものってことになるの?東川の人だけ?旭川の人も?東川の町の人も建物も、ぜ~んぶ~が、いつかは山の土ってことだよねぇ。」
こどもの疑問に、思わず自転車をとめて、山々を眺めました。
大雪山の山々はすっかり雪景色。
ひと足もふた足もはやく、冬が訪れています。
トンビが飛んでいました。
空から見たら…。
川が、血管に見えるのだろうか。
私は、山を構成している、ひとつのもの?
遠い上空から、大きな顕微鏡で覗いたら…細胞みたいなもの?
旭岳を含む大雪山が、仰ぎ拝む対象だとしたら、キトウシ山はいつでも行ける山。
私にとって、キトウシ山は「わたしたちの山」です。
こっそり「わたしの山」と思っているぐらい。
キトウシ山一帯の自然公園は、春夏秋冬、いつでもそばにいて、いつも自分と同じ状況で。
春だねぇと見遣れば、キトウシも春で。
春だなぁと行けば、春の息吹を見つけられる。
そんなところ。
パートナーを第三者に紹介するとき、どう呼ぶか。よく話題になりますね。
私は使ったことがないのですが、「うちの人」という言い方に実は憧れています。
年を重ね、経た年月と共に、いつか自然と「うちの人がね、」と口に出してみたいです。
「うちの人」と喋る方と会話をしているとき、いつも感じる情があります。
私の領域にいる人なんだよ、と周知しているような。
もしくは、当の本人の耳に入ったときに、あなたと私の領域は一緒なんだよ、と伝えているような。
考えすぎ?それともロマンチストすぎ?かもしれませんが(笑)
おじいちゃんやおばあちゃんが「うちのが、」と話し始める姿に、「なわばり」へのかけがえのない愛を感じて、イイネェと思うのです。
人が、「わたしの、」と紹介するとき、心に何が去来しているのか。
構成員というと、組織にがんじがらめのような感覚を抱くかもしれません。
しばられているのではなく、属性にとらわれているわけでもなく、「わたしの、」と考えてみることは可能なのでしょうか。
小学生の社会の時間。『わたしたちの町』というような授業があったなぁ。
ここで生まれたから「わたしの町」なんだろうか。育ったから?住んでいるから?
公園でも、橋でもいい。
樹木でもいいし、景色でもいい。
花屋でも本屋でも、商店街でもいい。
「わたしたちの、」と表現するとき。
「わたしの、」と思い浮かぶものがあるとき。
そこから、始まるものがあるのでしょう。
仰ぎ敬い、属し、守られていると感じる、旭岳。
そばにいて、身近で、見回りたい、キトウシ。
大雪山の山々と、キトウシ森林公園。
両者があることは、私にとって東川町に住み続けたい大きな魅力です。
読んでくださりありがとうございました。
「移住するor移住しない」に関わらず、東川町を飛び地領土のように「あ、わたしの知っているところ(わたしの一部)!」と思ってもらえたら、一町民として嬉しいです。
北海道東川町で暮らして、得た意識。
それは当事者の感覚です。
「市」にずっと住んできた私にとって、町政の手近さは新鮮なものでした。
小さな町です。
雄大な大雪山に抱かれているぶん、人間が住まう土地はわずかなもの。
そのわずかところに、約8500人の人間が暮らしています。
山を身近に感じるのと同じだけ、町政も身近に感じる。
誰かが考えて、誰かが決めて、誰かがするのではなく。
自分の体だと思う。
自分の町だと思う。
そんな町にずっと住んでいたい。
大雪山、キトウシ、東川町、これからもどうぞよろしくお願いします!
東川町民 栗
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耳、いつもありがとう。