江戸時代から続く「郡内織」。この伝統の織物を未来へ残そうと奮闘する人々がいます。“傘作り”を入り口に「織物で都留を元気に!」と始まったこの活動、人の輪も広がり進むべき道も見えてきました。このレポートではイベントの様子を通して、郡内織の歴史や都留のまちづくりに取り組む人々の姿をお伝えしていきます。
鳥取県南部町の一番南、山あいにある、南さいはく地域の人口は、約670人。 ここの地域の人たちが、今年度、一般社団法人を立ち上げた。 「一般社団法人を立ち上げる」っていう話を聞いたのは、1年ほど前のこと。 今になって考えると、大変失礼なことだが、最初に聞いたときには、正直。 「何で。」とい
旅行好きで、全国のいろんな場所に出かけて行くことが多いのだが、仕事柄、その地域の観光資源や特産品、食文化などが気になるので、そういったものに、手っ取り早く触れるには、道の駅はもってこいで、時間があれば、必ずそのエリアにある道の駅に、立ち寄るようにしている。 道の駅と一口に言っても、周辺の観光や
福島県伊達市にある道の駅「伊達の郷りょうぜん」の酒井さんと、いちご農家「松葉園」の大橋さん。いまや道の駅の目玉商品となった「いちごサイダー<いちごから笑顔>」の開発物語は、このお二人の出会いから始まります。イベントに参加したみなさんが「りょうぜんへ行ってみたい」と感じたその内容とは? <道
冬に旭川空港に降り立つと、空港の駐車場に停めたマイカーは、いつもだいたい、こんな感じで迎えてくれる。 帽子みたいに見えるし、おかっぱ頭のようでもある。 積もった雪下ろしを、どこから手を付けようかと迷うのは、ソフトクリームを最初に食べ始める時と似ているのかなと、勝手に思っている。 話は少
(前回からの続き) 昭和57年4月。鳥取県教育委員会から泊村教育委員会に、社会教育主事として朝井正教氏が派遣され、前年から泊村教育委員会に勤務していた河本清廣氏の同僚となった。 二人は共に20代。国からの命題を受け、真っ白な状態から、新しいスポーツの開発に取組むことになった。 高齢者にふさ
今から数年前、以前の職場での出張で、旭川空港を利用することがあった。その時、空港に到着して建物の外に出た瞬間、顔に当たる空気の温度で、随分遠くに来たことを(文字通り)肌で感じた記憶がある。 私はその当時、降り立ったその旭川空港から車で10分強ほどの距離にある、東川町のことを知らなかった。あの時この
地方に出かけると、公園や河川敷で年配の大人たちが集まり、手にクラブを持って、ボールを打っている光景をよく見かける。 今日も、出張先のまちの河原で、高齢者の人たちが集まっているのを見つけた。 高齢者のスポーツ=ゲートボールって、勝手に思い込んでいたけれど、それぞれの人の動きを見ていると、ちょっ